キリストの教会とは?

 

キリストの教会は、プロテスタントの「ファンダメンタリスト」といわれるグループに属する信仰の群れです。

歴史

 もともとは19世紀にアメリカで始まったキリスト教の運動である「ストーン・キャンベル運動」より生まれました。この運動の目的は、19世紀前半のアメリカにおける教派間の対立を危惧し、新約聖書にしるされているような「すべての人が平等で、キリストにあって一つである教会を回復させることにありました。

 この運動は、長老派出身のバートン・ストーンやアレクサンダー・キャンベル親子によって始められました。南北戦争などを経て、20世紀になると比較的リベラルな「ディサイプルズ派」(合衆国大統領を3人輩出しています)と、保守的な「キリストの教会」に分かれました。

 1920年代には「「ディサイプルズ派」からさらに「クリスチャン・チャーチ」と呼ばれる群れも形成されました。また第一次世界大戦以降、「キリストの教会」はアメリカにおける社会的な地位を向上させ、1950年代には教派別の統計で全米一ともいわれる速度で急速に量的成長を遂げた時期もありました。一方でこの時期の「キリストの教会」は神学的には極めて律法主義的かつ排他主義的でした。

 1960年代にアメリカでおこったさまざまな新しい動き員触発されて「キリストの教会」では、律法主義・排他主義が克服されていくようになります。

 最近では、「たいせつなきみ」で有名な作家のマックス・ルケードに代表されるように、保守的な福音派との連携をとるメンバーが増加しています。学問の分野では、A・マルハーゼ(エール神学校)、C.ハラディ(エモリー神学校)、E.ファーが損(ACU神学校)等、リベラル・主流派の学界で活躍する学者が多く登場しています。

 2008年現在、「キリストの教会」の会員数は全世界で約300万人と推定されています。

日本における「キリストの教会」

 日本には1883年(明治16年)にストーン・キャンベル運動の諸教会から最初に宣教師が派遣され、日本でのディサイプルズ派が形成されました。1892年(明治25年)にはM.マッケーレブが来日し東京の雑司ヶ谷拠点に宣教活動をしました。

 やがて、女性宣教師のS.アンドリュース(おもに静岡で活動)やO.D.ビックスラー宣教師夫妻(戦前は茨城、戦後は東京で活動)など、第二次世界大戦前に40名の宣教師が米国から派遣されて20ほどの教会が設立されましたが、戦争を機に多くの教会が消滅しています。

 第二次世界大戦後、茨城県日立市に茨城キリスト教学園が設立され、ハリー・ファックスJr.とその弟ローガン、J.キャノン等多数の教師兼宣教師が米国から派遣され日本全体のキリスト教ブームもあり、多くの教会が設立されました。また、福祉施設ナザレ園(茨城県那珂市)等の社会事業設立にも会員が携わりました。

 2009年現在、日本全国に約60教会、計約1000人の会員を有する群れになっています。

 

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