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4月の礼拝の説教です
 

 

 

4月5日
小幡幸和兄弟 「神に不可能なことはない」
 聖書箇所 使徒言行録28:30〜31

 
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  今日の聖書箇所は使徒言行録にあるパウロの言葉です。この時、パウロはローマ帝国の首都であるローマに連れてこられて軟禁されていました。「自費で借りていた家に丸二年間すんでいて・・・」という記述からは緊張感が伝わってきませんが、パウロは軟禁状態で丸二年、裁判を待っていたのです。

 では、その後パウロはどうなったのでしょうか?

 歴史の伝承によると、その後パウロはローマで処刑されたのです。「まったく自由になんの妨げもなく、神の国を述べ伝え・・・」という記述は楽天的ですね。後に処刑されるという影は微塵もありません。ところが、現代の聖書学者の大半が、このルカによる使徒言行録が、パウロの死後10〜20年後に書かれた点で意見が一致しているのです。とすると、当時の読者ならびに、著者はパウロの死を知っていたことになります。

 とすると、この記述は少々不可解です。どうしてそれほど重要な人物の死について記述されていないのでしょうか?じつはこれは偏見でも、意図したものでもないのです。

 パウロがギリシア語で伝道したことによって、キリスト教が世界宗教になったという人もいますが、これは間違いで、キリスト教は神様によって広められた、すなわち神様の働きを表したものが使徒言行録なのです。「福音はなんの妨げもなく伝えられた」というのが使徒言行録に込められた重要なメッセージなのではないでしょうか?

 さて、2008年度を振り返ってみますと、2008年度の水戸教会のテーマは「神に不可能なことはない」でした。皆さんはどのように、この言葉を受け止められたでしょうか?今日から私たちと一緒に礼拝に出席されている恒枝さんは、私がちょうどアメリカに留学していたときに同じテキサス州のアビリン大学大学院に来られましたが、その後ロサンジェルスのハーディング大学に行きます。このハーディング大学もChurch of Christの大学ですが、その名前は創立者ジェームズ・ハーディングの個人名に由来しています。

 このハーディングという人は、「日常の生活の経済面で愚かなまでに神様の導きを待つ」という考え方をしました。時には、定期的な給料を受け取ることさえ拒否したり、財産を持たないで、いわゆる神様任せの生活をしていたそうです。それでも、もちろん失敗したこともありますが、多くの場合困難を乗り越えることができたそうです。

 以上をまとめると、フィリピ人の信徒への手紙4:19にあるように、「神の義を求めるものは将来に備えて富を蓄える必要はない」のです。神様はまことのお父さんです。父なる神を信じた決意表明をしたいと思います。

4月12日
恒枝篤史兄弟 「新たなる出発」〜聖霊に遣わされて〜
 聖書箇所 使徒言行録13:1〜3

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 使徒の13章に、「アンティオキア教会」という教会が登場します。この「アンティオキア教会」こそが、世界に福音が伝えられる基地となっていったのです。そして、聖霊様が、バルナバとサウロを召されるわけですが、それは一体、「いつ」だったでしょうか?それは、教会が、主を「礼拝」し、「祈り」をもって「静かに」待ち望んでいた時に、聖霊様は語りかけられました。

 そして、サウロとバルナバは、教会から派遣された訳なのですが、その背後に働いていたのは「聖霊なる神様ご自身」でした。彼らは、「人間の思い」や「計画」によって宣教旅行に出たのではなく、「聖霊に遣わされて」出発したのです。ですから、まずは何よりも、神様の御前に静まって、祈ることから始まる。その中で、聖霊なる神様が語りかける御言葉を、静まって聞くことではないでしょうか。その上で、聖霊様は、私たちをキリストの愛の福音の業のために選び出し、遣わして下さる、ということなのだと思います。

 私たちは、3月末に、送り出されて、「水戸の地」へとやって来ました。ですが、考えてみて下さい。私たちの誰が、この時期に、私たちが立川教会を離れて、水戸教会へ送られることを、想定したでしょうか?・・・私たちが願ったからじゃない。教会が考えていたからでもない。私はまさに、「聖霊様」に送り出される思いで、茨城地方、水戸の地という、私たちにとっては「新天地」で、伝道と教会形成のために尽力したいと思っています。

 また、伝道の働きは、決して伝道者の働きだけではないということを覚えておきたいと思うのです。みことばに生きる。神様と共に生きる、そこにある本当の幸せを知った人たちは、「クリスチャンになれて良かった。」「教会に属することができて、良かった」、と心から思うのです。ですから、福音を伝えずにはいられなくなるのだと思います。本当の幸せをつかんだ人は、それを自分だけのものにしておくことができないからです。私たちそれぞれ、神様に見出され、神様に召された者たちです。私たちはすでに、生活の場に遣わされているのです!私たち一人一人が、まず神様の御言葉によって養われて、信仰による出会いによって成長していく。そして、お互いにある愛の絆が深まっていく。その上で、今週もそれぞれの家庭、学校、職場へと遣わされていきたいと思います。

4月19日
マーク・ハンコック兄弟 「十字架につけられたイエス様」
 聖書箇所 コリントの信徒への手紙第一9:22〜23

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4月26日
小幡幸和兄弟 「カリスマに導かれる教会」
 聖書箇所 コリントの信徒への手紙第一12:1〜11 

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 最初にマザーテレサの話です。マザーテレサにある時シスターの一人が「あなたは、いつも貧しい人にただで与えている。その行為は、彼らを甘やかし人間としての尊厳を損なっていることにならないか?」と尋ねました。それに対してマザーテレサは「私たちはみな神様に甘やかされているのです。神様がいつも私たちに与えてくださってる素晴らしい贈り物を見てごらんなさい。主は私たちの視力、酸素などを始め、いつもいろいろな必要なものを無償で与えてくださいます。お金持ちを甘やかしている教会はたくさんあるので、貧しい人を甘やかす教会が一つぐらいあってもいいと思います。」と答えたそうです。

 ところで、話は変わってカリスマ(Charisma)という言葉で、皆さんはどういうイメージを思い浮かべるでしょうか?辞書を引くとカリスマとは「多くの人を心酔させる資質・能力」とあります。このカリスマとはもともと聖書にある言葉ですが、もともとはそれとは反対の意味「恵みの賜物」の意味で使用されていたのです。つまりキリストの勝利のゆえに一人一人のクリスチャンに神の力が与えられ、とそれをもとに様々な奉仕がなされるのです。この賜物についてはエフェソ4:8やローマ人への手紙12:6に記述がありますが、与えられた恵みによってそれぞれ異なった賜物が与えられるのです。

 今年の水戸教会のテーマは「すべての人のもとに遣わされる」ですが、そのテーマの具体的な目標である、(1)愛と聖霊に満たされた教会となる、(3)信仰の成長のために自らができることをする、を考えてみますと、ロマ12:6〜8にあるように、教会で奉仕するのは自分の力ですることではなく、神様から与えられた力ですることなのです。その人には役割があるわけですが、どのような役割を与えられているかは教会では奉仕はカリスマ(与えられた賜物)に従って行うわけなのです。

 また異なった伝道者には異なった賜物があります。当教会のもと伝道者だった上村先生、鈴木先生はみな各々異なった魅力がありました。そしてこれから水戸教会で伝道をしてくださる恒枝先生のも異なった賜物があります。人間的な見方が先立ってしまうこともあると思いますが、役割中心の見方ではなく、神様がどんな賜物を与えてくれたかを見極めていくことが大事だと思います。そして、その中であなたにしかできないことも必ずあるのです。


 

 

 

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