2月1日
マーク・ハンコック兄弟 「神にはできる」 聖書箇所 ルカによる福音書
Luke 18:18〜27
今日は昨年シリーズで話したノンクリスチャンの家族を持った人のための最終回です。
ノンクリスチャンの家族のためには次のステップを踏んで見ましょう。
(1)自己イメージの吟味:私たちは神様に似たものとして造られたことを再確認しましょう
(2)私たちのクリスチャンとしての責任の再確認:クリスチャンとしての香りを放っていますか?
(3)祈り:神様に祈ってお願いしてみましょう
(4)信仰の伝道:強く信じてみましょう
私の知っている方で本田先生という方は25年間両親のために祈ってその願いがかなえられました。
これらの4つのステップをステップバイステップで行って見ましょう。
2月8日
恒枝篤史兄弟 「エマオへの道」 聖書箇所 ルカによる福音書 24:13〜35
今日はルカによる福音書からのお話です。
イエス様が十字架でお亡くなりになってから、三日目の夕暮れ、2人の弟子がエマオに向かって歩いていました。彼らは、イエス様が死んでしまったことに、失望し、落胆していました。
皆さんの信仰生活も、時によってはこうした落胆の時があるのではないでしょうか。そんなとき、私たちの心には、喜びがなくなり、失望し、信仰が失われそうになります。
彼らはイエス様が共に歩んでおられても、それがイエス様だと気づきませんでした。私たちも、信仰が薄れている時には見ていても気づかない時があるのではないでしょうか。
神様の恵みは、存在しないのではありません。見えない事実として存在しています。信仰が働くときには、どんな暗闇の中を歩いていても、神様の恵みを確認することができます。しかし、信仰が働いていないならば、どんなに明るい中で生きていたとしても、神様の恵みをひとつも認めることができないのではないでしょうか。
マタイの福音書には
「見よ、わたしは、世の終わりまでいつもあなた方とともにいます。」(マタイ28:20)、とあります。
私たちの人生にも、落胆して、日没の方向に向かって歩んでいるような時があります。でも、そんな時にも、イエス様が共にいて歩んで下さいます。私たちの叫びに静かに耳を傾けて下さいます。そして、いつの間にか、主導権を主が握って下さって、消えかかった心の火をもう一度赤々と燃え立たせるよう、主ご自身が導いて下さる。そして、夜明けに向かって歩み出す者へと造り変えて下さいます。
たとえ私たちの歩みが、どんなに暗さが増していくような道であったとしても、なおそこにイエス様が「共に」おられて、私たちの歩みを、「日没」から「夜明けへ」、向かうように導いてくださる。
そのことを信じて今日も歩んでいきましょう!
2月15日
小幡幸和兄弟 「バレンタイン・デーと神の愛」 聖書箇所
ヨハネの手紙第一 4:7〜21
今日は先ほど歌った「Greatest
Commands」という歌にもある「神の愛」についての話です。
今日の説教箇所の7節、8節にもあるように私たちも神の愛のDNAを持っています。つまり愛は神から出ているのです。愛する者は神から生まれます。こんな私たちにも「愛」は神様からのDNAとして備わっているのです。つまり創世記にもあるように「人間は神に似せて造られた」のです。私たちも神に似せて造られた以上は愛することができるのです。
それでは教会の外の世界ではどうでしょうか?学校や、職場でいつもニコニコしながら、しかも愛を持って他の人に接したいですね。
愛とはエネルギーです。創世記に神様は人を創られたときに体を作られただけではなく、神様の息が吹きかけられエネルギーを得た、と書かれています。
ところで、昨日はバレンタインデーでした。第二土曜日でしたのでホームレスのサポートもありましたが、山村兄弟がギターの演奏をしバレンタインのチョコレートを配りました。ホームレスの人の顔つきがだんだん生き生きしてきたようですね。
日野原先生が朝日新聞に「チョコレートの効用」を書かれていらっしゃいますが、そのなかで、先輩の方にチョコを差し上げてはいかがですかと仰っています。チョコレートをあげることはエネルギーを与えることにもつながります。
ここで皆さんにお願いしたいのは16節にもあるように、愛することと信じることに留まることです。
世界的な大不況、不安定な雇用、つらい受験勉強、介護の中で愛をなかなか信じられないときもあるかもしれませんが、神様から愛をいただいて神様の愛にいつも触れているときに、人を愛せるようになり、神の愛が全うされるのです。
2月22日
小幡幸和兄弟 「呼びかける神、答えるわたしたち」 聖書箇所 ヨハネの黙示録 3:20〜22
今日は皆さんに4つの質問をします。
1. 神様っているんですか?
私たちが教会に集まるのは神様に「ありがとう」というためです。しかし神様は、目には見えません。神様は、空気のように見えない存在です。しかし空気がなければ私たちが生きていけないのと同様、見えなくても私たちを支えてくれます。目に見えない神様によって私たちは生かされているのです。
2. 神様はいるかもしれなけれど、なぜキリスト教の神だけなのですか?
本当の神様は一人だけなのです。本当の「大きな神」は唯一なのです。このことを理解するために結婚を考えてみましょう。結婚でお互い結ばれた夫と妻は、生涯相手を信頼して支えあって生きていきます。つまりお互いを思いやることを学ぶことが結婚なのです。また子供が栄養がいいだけではちゃんと育たないように、育つ上で親の愛情は不可欠ですね。これと同様に教会は愛をはぐくむ場所です。クリスチャンになるということは狭い世界に入ることではなく、両親や夫婦の愛の結びつきのように、神様と結ばれることなのです。
3. どのようにして神様を知るのですか?
聖書を思い切って開いてみることです。聖書から神様のメッセージを受け取れるのです。つまり神様は聖書を通じて私たちに語りかけているのです。
4. どのようにして神の呼びかけに答えるの?
それは、決心してバブテスマを受けることだと思います。使徒言行録には「悔い改めなさい」(使徒言行録2:37〜38)とありますが、もろもろの悪い思い、だれにでもある醜い思いを悔い改め、間違いであることを認めるのです。そしてイエス・キリストの力を通じてバブテスマを受け罪を洗い流してもらいましょう。今日は、水戸教会の将来を担う3人の子供たちのバブテスマがありますが、バブテスマは最初の決断です。バブテスマによって聖霊つまり神様の御霊があなたの心に宿ってくださるのです。
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